”其の十”
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昭和十三年
五月二十一日晴れ
内黄城より午前三時三十分蘭封城方面の敵を攻撃しつつ午後八時付近の部落に露営す。
五月二十二日晴
午前六時起床直ちに蘭封城を攻撃す。
友軍にも死傷者三十五名一夜中寝ずに
五月二十三日晴れ
各地区にて激戦中、敵の死傷者は三百名位でした。敵は死傷者をそのまま
五月二十四日晴れ
午前二時三十分三儀済城より負傷者四十七名、火古鎮に収容す。
五月二十五日晴れ
三儀済出発テイソウチン着きすぐ大黄鎮に前進す。負傷者四十名収容し敵の襲撃
を受け、二十六日午前十時テイサイ村帰る。
五月二十六日晴れ雨
テイサイ村前進し「ラオ村」に死傷者三百名を収容、この収容は今までに無き敵前
収容にて困難す。
午後八時戦友の常田君が自分共に戦斗中、敵の玉にて戦死す。二十八日午前四時に
テイサイに帰る。
五月二十八日晴れ
テイサイ村より束庄村に前進す。益々敵は盛んに我軍と交戦中。
五月二十九日晴れ
束庄村にて午後六時に利一(父の兄の子)と面会す。元気でした。
敵は益々我軍に抵抗す。此の地は何処でも部落に井戸が二カ所位しか無く水不足
にて困難す、水汲み行く兵隊全部が銃殺される始末、敵は水汲みに来るのを待って
居ります。
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