”其の八”
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昭和十三年
五月十二日晴れ
午後十二時きし、大黄河を渡河の為鉄舟を黄河にはこび、第一、第二
第三渡河*を造り、我が中隊は第一渡河*、午前三時に工兵隊が川の
中程まで手こぎで行き、其れより発動機をかけ敵中に突撃す。
三人一組となり一人では川の中から出ることが出来ず、敵は川岸にコ
ンクリ−トのト−チカを造りその中より銃撃す。
我々は第一回の渡河にて助かりました。
玉は後方飛び去り後方兵隊さんが負傷しました。
戦死六名、負傷者十六名出す。追撃しつつ中庄村に露営す。
五月十三日晴れ風
中庄村に敵飛行機三機空襲す。
敵は四千名、数時間の大攻撃し敵は死傷者数百名、我が方は死者十二
名、負傷者七十名、尚戦斗続く。
五月十四日晴れ雨
曹*城に向かい攻撃前進し、昨日に引き続き城内に銃砲弾をあびせし
も、なかなか敵も頑固に抵抗しなかなかの苦戦です。
午後三時工兵隊が北門を爆破して、二聯隊が突撃して遂に入城す。
友軍も死傷者多く、敵の死傷者はもの凄い程でした。
五月十五日晴れ
午前八時負傷者百名に戦死者三十名を収容して五時宿舎に着く。
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