2025年 6月 の投稿一覧

嘗ての御母衣ダム 1974年(岐阜県)

物置の奥にしまって置いたネガの整理をしていたら思いがけないネガフィルムが出てきた。
私が22歳の頃、友人と3泊で北陸を旅した時の写真である。
その中に、岐阜県大野郡白川村の御母衣ダムで撮った写真が数枚あった。
多分、白川郷に向かう途中に寄った覚えがある。
その頃は、ダムには全然興味もなく序に寄ったのだろう。
(1974年撮影)

水系:庄川
型式:傾斜土質遮水壁型ロックフィルダム
流 域 面 積:442.8k㎡
堤高:131m
堤 頂 長:405m
堤 体 積:7950.000m3
総 貯 水 量:370,000,000m3
有 効 貯 水 量:330,000,000m3
1957年着工1961年完成。
御母衣ダム
岐阜県大野郡白川村大字牧
参考サイト
ダム便覧

閑話休題
北陸の旅は、私の車で二泊三日をかけて栃木から群馬、岐阜、富山、能登半島を一周してきた。
白川郷と能登半島が主な目的でした。
なるべくお金を使わずに行こうと言うことで、宿は取らず食事もパンなどで凌いだり、風呂は銭湯や海で済ました覚えがある。
一番の想い出は、能登半島かな。

恋路海岸で夜を過ごしたが車の窓を開けたまま寝たので一晩中蚊に悩ませれた。
また、恋路海岸から富山に向かう途中、車のファンベルトが切れてしまった。
ファンベルトの替えは持って無いし、ガソリンスタンドも無い。
トランクを開けて何か無いかと探して見ると、タイヤチェーンを固定する輪ゴムがあった。
仕方が無く輪ゴムをファンベルトの替わりに付けて数キロ走った覚えがある。

ガソリンスタンドで見て貰ったが、あと数キロ走ればエンジンを焼いてしまって車はお釈迦だよと言われた覚えもある。
でも、楽しかった。
若ければ出来ない旅の想い出でした。

この頃、カメラを始めて数年経っており友人から譲って貰ったマミヤ二眼レフカメラC220で撮った写真です。
露出計は付いていなかったので目測で設定したみたいだがピーカンなのでよく撮れたみたいだ。
帰ってきてから自宅で6*6のブロニーフィルムを現像タンクで現像したようだが周辺に現像ムラが出てしまったようだ。
下は、白川郷で撮った写真です。

 

写真について(二)

写真展は最上階の催事場で開催されていた。
確か半切の写真がパネルに貼られ、カラー作品とモノクロ作品が数十点ほど展示されていたと思う。
私が一番目に焼きついている作品は,真っ黒な空に煙のようにもくもくと湧きあがる積乱雲のモノクロ写真であった。全体の五分の一が地上部分,五分の四が空と雲に占められた構図で引き締まった黒い空にくっきりと描かれた積乱雲は恐ろしささえ感じられた。

私はその会場へキャビネに伸ばした雲のモノクロ写真を数枚持っていった。そして鈴木先生に評して頂こうかと思っていた。しかし私が行った時先生は不在で先生の友人と云う方が私の話を聞いてくれた。でもその方は先生の撮影データーなどは知る由もなく、まして20歳そこそこの私の写真を見ても先生に話しておきますよ。と、にべのない返事であった。
それからというもの、私は以前にもまして雲の魅力にとり付かれ、カメラにはモノクロフイルムを常備装填し、休日は勿論のこと会社の休み時間にもカメラを持ち出して雲の写真を撮る始末であった。

また、写真には飽きたらず易しい気象学の書物なども読み始め、ラジオ用天気図用紙を取り寄せて気象天気図を書くほどまでに熱中してしまった。
しかし、写真は撮っていたもののネオパンSSやSSS、トライ-XなどにY2やO2の濃いフィルターを付けて撮った写真には何故か不満を感じていた。やはり写真展で見たあの真っ黒な空にくっきりと浮かび上がった真っ白な雲が目に焼きついていたのである。
その頃、私は一冊の写真集を本屋に頼んでいた。名前は忘れてしまったが定価が3,500円くらいの大判サイズで、すべてモノクロで撮った雲の写真集であった。

大判サイズのこの写真集はページ全体に余白を取らずに写真が印刷され、ページを捲るごとに”ガッーン”と強力な衝撃を私に与えてくれた。鈴木正一郎先生の写真も素晴らしかったがそれ以上にこの写真集には凄い素晴らしさがあった。
同じ雲の生態記録写真なのだが芸術性の高い作品を見えいる様でもあった。

望遠で大胆にカットした写真、ワイドで緻密なまでに撮られた写真、かとおもえば増感してわざと粗粒子に仕上げた写真、見るもの全てがモノ新しく感動の連続であった。
それと各写真に明記された撮影データ。これが私にとっては一番参考になった。私はこの写真集によってミニコピーフイルムを使うことを知り、今まで思い悩んでいたあの”黒い空、白い雲”を手に入れたのである。

雲を撮るようになってからは55mmf:1.8の標準レンズ一本では物足りなくなってきた。
果てのない空に広がる雲を視野一杯に写し込むには広角レンズがどうしても欲しい。
35mm、28mmか24mm、そして欲を言えば魚眼レンズの3本があれば最高なのだが当時の私の給料では3本も買える程の余裕はない。ましてや雲以外にも広範囲に使えるレンズを一本だけに絞るとなると一番無難な28mmになってしまった。

そして手に入れたのがSPの純正レンズ、スーパータクマー28mmf:2.4であった。
ダイキャストシルバーのSPボディーには28mmレンズ、フィルターはY2かO2、そしてフイルムはSS、SSS、トライ-X、ミニコピーを使い分けて撮り捲くっていた。
当時のフイルムフォルダーのメモを見るとこの時期は雲ばかり撮っていたようだ。
たくさんのネガケースには所々に印があり気に入ったコマだけをラボに出してプリントしていた。

その後、風景と撮影会に凝った時期があった。
誰も同じ経験があると思うがポートレートや風景の撮影会などに参加すると、構図を決めるにしても標準や広角レンズだけでは無理な場面が多々ある。風景では遠くにある被写体を近くにグッと引き寄せてみたいと思うのが人情であり、ましてや回りに陣取るカメラマンが筒の長いレンズを装着していれば自ずと劣等感も湧きあがり、当然筒の長い望遠レンズが欲しくなってくる。
私に限らず写真をやっていれば早かれ遅かれ”レンズ欲しい病”が発症してくる。

この病は、傑作を生むが為に必要に迫られて発症する場合と、劣等感からくる必要でもないレンズをたくさん持っていたいと思う心の病として発症する場合がある。
俗に後者の場合を”道具屋”病とも言う。
私も例に漏れず一年ほど経ってから発症した。欲しいとなるといてもたってもいられず当時発刊されていた日本カメラ、アサヒカメラ、カメラ毎日のページを捲っては交換レンズの事ばかり考えていて写真を撮る気にもならなかった。

既に広角レンズは手に入れていたから”望遠レンズ欲しい病”の発症である。
この時も広角レンズの時と同じように3本に絞っていた。105mm、135mm、200mmであり、最終的には撮影目的と予算から考えて一番無難な135mmf:3.5に落ち着いてしまったのである。
欲しかった2本のレンズを手に入れてからは私の”レンズ欲しい病”も”ガマン”と言う特効薬で一応治まった。
それから、勤めていた会社主催の撮影会が何回かあったが当然手に入れた135mmレンズを着けての参加、スーパータクマー135mmf:3.5単玉の素晴らしい描写の真価が発揮されたのは言うまでもない。

(風のつぶやき 2005年5月記事より抜粋)

写真について(一)

写真を始めてから半世紀が過ぎた。
当初はセール中の安い一眼レフを手に入れ、子供達の成長記録などをカラーで撮っていた。それも一年間に数本程度であった。

今から十年ほど前、勤めていた会社で最新の建築設計CADを入れ替えると同時に、お客様へのプレゼンテーション環境を充実させCADとデジカメによるコラボレーションを確立する為に最新のデジカメも一緒に導入した。

CADとデジカメ導入については私が主導的立場に立ち、約半年かけて最新の建築設計CADによる建築部材の拾い出しから建築資材の統括的な見積書作成迄をほぼ確立する事が出来た。
CADによる図面の作成はマニュアルどおりに習得すれば誰にでも操作出来るのであるが、建築資材の種類、寸法や単価の入力、資材の拾い出しをする為の設定、そしてそれを基にした見積書の作成、これらの環境設定が一番面倒で試行錯誤しながらの作業であった。結果的にはこの作業が一番時間がかかってしまった。

しかし、一度しっかりと環境設定をし流れを覚えてしまえば後は機械(パソコン)が処理してくれる訳であるから、大変な人的コストの削減になった筈である。
そして、一緒に導入したデジカメ、確か98年に発売されたエプソンのCP600であった。画素数は130万画素と今の画素数とは雲泥の差ではあったが当時としては定価84,800円の最新モデル機であった。これも仕事で使うには十分で現場の撮影、物件の撮影と大変役立った。
それとは別にその頃から私の写真心が再び芽生えはじめ、デジカメを借り出してはいろいろな所を撮っていた。

そして、1997年に”省エネ住宅”の情報サイトとして発信しはじめた私の個人サイト「五月の風」にそれらの写真を載せるようになったのである。
特にデジカメの凄さを実感したのは、2000年に栃木県壬生町をメイン会場に開催された「マロニエ緑花祭2000」であった。
壬生会場は自宅の近所の公園であったので会期中は毎週のようにデジカメを片手に会場の様子を撮り捲っていた。そして、その日のうちに最新の情報を私のサイトに載せて発信していた。

その頃はデジカメの便利さとそこそこに撮ることが出来る解像度にえらく満足していた。
しかし、デジカメの進化は凄まじく半年と言えずに解像度の画素数と性能は鰻上りのように各社各様凌ぎを削りながらも改善されていった。
私も今のデジカメには飽きたらず、量販店のあんちゃんの甘い言葉に囁かれ最新の220万画素搭載のコンパクトデジカメを買ってしまった訳である。

また、その頃私は俳句に興味を持ちはじめ駄句ながらも詠むようになり、俳句関係の書物を読み漁るうちに芭蕉の「奥の細道」に大変興味をもった。
休みを利用してはデジカメ片手に芭蕉の歩いた栃木県内の「奥の細道」をたどり県内にある芭蕉の句碑とともに私のサイトに「奥の細道」栃木路として発信してきた訳である。
(現在は”「奥の細道」野州路を歩く”としてブログに再編中であ。)

しかしデジカメの進化は留まることを知らず、ますます速度を速め今や800万画素数以上となってしまった。
当然この異常な進化には私の懐具合もついてはいけず、現在まで220万画素数のコンパクトデジカメで待機中なのである。
これが私のデジカメに係わった経緯である。

昭和44年宇都宮市の県立U工業高校の電子科を卒業した私は矢板市のS社に入社した。
そこで同郷のK氏と知り合う。K氏は早くから写真をやっており、暗室を作ってフイルムの自家現像からプリントの自家引伸ばしまで既にやられていた。
その頃、K氏は天体観測をやっていて天体の写真を主に撮っていた。

私は天体などには全く興味はなく、彼の処理するフイルム現像、そしてプリントの引き伸ばしに時々付き合わされていた。
毎週土曜日の夜になると決まってプリントの引き伸ばし処理をしていた。それも夜だけ、暗幕を張っての急ごしらえの自然暗室であった。
酢酸の臭いのこもった狭い部屋で現像液に浸した印画紙に徐々に浮き出てくる画像、いつしかこの感動の瞬間が私を素晴らしいモノクロの世界へと導いてくれたきっかけとなったのである。

いつも時間などは関係なく暗幕を外すと東の空は白み始めていた。
この頃、私はカメラを買うために安い給料の中から少しずつ貯金をしていた。初めニコンが欲しくて欲しくて堪らなかったが安給料の当時の私には高すぎて手が出なかった。
一方K氏は天体写真を主に撮っていたので全マニュアルのアサヒペンタックスSVを使っていた。いつもバルブ撮影なので露出計は必要ではなかったのであろう。

私はカメラを何処のメーカーにするか悩んでいたがTTL開放測光を搭載したアサヒペンタックスSPにほぼ絞っていた。その当時、ニコンに比べて価格も安く、レンズも良く、そして何より露出計が組み込まれていて使いやすく一番人気が高かったことが決め手になった。確か当時の価格が50mmF1.8の標準レンズ付で4万円位だったと思う。その当時高卒の私の初任給は21,000円位でした。

手に入れてからというものは、休みになると毎週のようにカメラを持ってはオートバイで徘徊するように写真を撮りまくっていた。
最初のうちは物珍しくカラーでいろいろと撮っていたが、K氏と付き合うようになってからは現像処理の面白さも手伝ってか、次第にモノクロへと傾倒していった。
その頃、私は雲の表情の面白さに魅力を感じK氏の天体写真に対抗して雲の生態写真を撮りはじめていた。

そんなある日、宇都宮市のとあるデパートで宇都宮市在住の気象学者、鈴木正一郎先生の写真展が開かれたのである。

栗山ダム(2013.7.24)

栃木県日光市大字佐下部字平田岳にある栗山ダムに行ってきました。
1988年に完成したロックフィルダムで堤高97.5m、堤頂長340mの発電用のダムです。
ダム形式は揚水式で、今市ダム(下池)の上池として機能している。

ダム湖で右奥に管理棟がある。

駐車広場から見たトイレとダム本体。
駐車場から管理棟までは進入禁止で車では行けないが、歩いて10分位でダムサイトに行ける。

ダムサイト直下にある園地。

栗山ダム管理棟

ここからは、霧降高原にある六方沢橋も見え、逆に六方沢駐車場からはこの栗山ダムを望むことも出来る。
六方沢駐車場より栗山ダムを見たもので、バックの山は高原山です。
ダムの左手前は、日陰牧場です。

栗山ダムには以前から興味があり、今市ダムを取材した時に行こうと思っていましたが今回ようやく念願が叶いました。
栗山ダムに行くには黒部ダムの手前から林道に入り、日陰牧場(現在は閉鎖)の中を通っていきます。
道は狭いですが完全舗装でダムサイトまでいけます。
ただ、ダムサイトの手前には700mほどの夫婦山トンネルがあり、照明はあるのですが一人で行くには非常に寂しい不気味なトンネルです。今回はアマチュア無線のフレンドが一緒でしたので臆病な私も安心して行くことが出来ました。感謝!
下が夫婦山トンネルです。

ダムin栃木2013.7.24記事より抜粋

蕎川庵 高瀬(那須烏山市三箇)(2018.7.16)

栃木県那須烏山市三箇の蕎麦屋蕎川庵 高瀬に行ってきました。
ここは、旧南那須町三箇の田んぼの中の一軒店。
見渡すと前方には清流荒川が流れ、長閑な田園風景の広がる閑静なところにあります。
実家の近くなので、妻の兄弟3人と私と娘6人で行って来ました。

11時ごろに行きましたが店内は満杯。
店に入ると4人掛けのテーブルが3つ、座敷に2テーブル、そしてカウンター。
20人ぐらいは入れるだろうか。

お昼前に行きましたがなかなかの盛況ぶり、後から後からお客さんが絶えませんでした。
美味しい蕎麦だけあって食ベログからの口コミが人気だそうです。
この辺には蕎麦屋さんが少なそうなので知る人ぞ知る蕎麦店なのかもしれません。
腰のあるなかなかの味、久々に美味しい蕎麦をそばを堪能してきました。
因みに、ここのご主人は一緒に行った私の妻の小学校(旧三箇小学校1979年廃校)の同級生だそうです。
近所には子供たちとよく遊びに行った八溝県民休養公園(四季の森)が有ります。
その後、車で15分ほどにある那須烏山市内の山あげ会館を見学してきました。

(Maywindのつぶやき2018年7月16日記事より抜粋)

国際写真サロンinさくら市(2014.9.16)

栃木県さくら市のさくら市ミュージアムー荒井寛方記念館で開催されている国際写真サロン展を見てきました。
国際写真サロンは今回で74回、世界の写真愛好家を対象にした素晴らしい国際写真展です。
さくら市で素晴らしい写真展が開催されたのは平成7年、毎年開催されていますが今年で20回目になります。
巡回展みたいですが東京まで行かずに毎回県内で鑑賞出来るのでありがたいですね。
写真に興味のある方には、大変参考になる写真展ではないでしょうか。

主催は朝日新聞社・全日本写真連盟
協賛はキャノン株式会社・キャノンマーケティングジャパン株式会社
期間は2014年9月5日(金)~15日(月)
会場は栃木県さくら市ミュージアムー荒井寛方記念館
2014年9月7日(日)には写真教室やサロン展の解説会などもあるようです。

下は、同じ会場で2006年6月22日~7月9日まで開催された第66回国際写真サロン。

下は、さくら市ミュージアムの正面玄関。

下は、常設展示の郷土スペース。

さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-
栃木県さくら市氏家1297 Tel 028-682-7123

Movable Type6の導入(2013.10.20)

10月17日にリリースされたMovableType6を早速私のブログに導入してみました。
Movable Type 6は3年9ヶ月ぶりのMovable Type 5からのバージョンアップです。
Movable Type 6を使って新たにマイブログ”ITMayのつぶやき”を作成してみました。
使い勝手はMovable Type 5と同じで、導入に関してはほとんど違和感を感じませんでした。
私は、Movable Type 4から個人無償ライセンスを使っていますがとても素晴らしいWeb Blog作成ソフトではないかと思います。
私のメインサイト”五月の風”以外はすべてMovable Type を使っています。
一部、WordPressを使っています(日帰り温泉in栃木)が、私としてはやはりMovable Typeが機能的にも勝っているのではないかと思います。
しかし、Movable Typeは記事などをUPするたびに再構築しなければならないのが難点でしょうか。
これからは、Movable Type 6がどのように進化したか記事をUPしながら確認していこうと考えています。

“ITMayのつぶやき”は、私のホビーである”アマチュア無線”やIT関連の事、日常の事などをつぶやいていきたいと思っています。
(ITMayのつぶやきより抜粋)

日陰の村(2004.11.10)

ブログアーカイブを新設しました

下は、今までに私が構築したブログです。
日常の出来事やIT関連の記事・趣味である写真に関する記事・2004年から通い始めた南摩ダム・栃木県内の日帰り温泉施設の紹介・栃木県内のダム施設の紹介・栃木県内の霊場の紹介・栃木県内で撮影した雲の紹介・芭蕉が歩いた栃木県内の足跡などお気に入り記事を順次紹介して行きたいと思います。

風のつぶやき!(2004年9月~2013年8月)
Maywindのつぶやき
ITMayのつぶやき(2013年10月~2014年9月)
Photo in 栃木(2018年6月~2021年3月)
南摩ダムにて(2004年11月~2015年4月)
ダムin栃木(2013年7月~2014年2月)
日帰り温泉in栃木(2013年~)
霊場巡礼in栃木(2017年1月~2018年1月)
雲in栃木(2016年5月~2016年11月)
奥の細道in栃木(2001年~2008年)

かなりの記事数ですが、私の想い出深い記事などをピックアップして紹介していこうと思います。