朝ドラ「風、薫る」大雄寺(黒羽町)

2026年度前期 NHK連続テレビ小説「風、薫る」制作が発表されました。
舞台は、明治時代西洋式の看護学を看護婦養成所学ぶ栃木県黒羽町出身の大関和さんと鈴木雅さんの二人が看護の世界を切り開いて行く物語です。

連続テレビ小説 第114作『風、薫る』は、大関和(おおぜき ちか)さんと鈴木雅(すずき まさ)さんという二人のトレインドナースをモチーフに描く、考え方もやり方もまるで違う二人の主人公のバディドラマです。同じ看護婦養成所を卒業した二人が、患者や医師たちとの向き合い方に悩み、ぶつかり合いながら成長し、やがては“最強のバディ”になって、まだ見ぬ世界を切り拓いていきます。
※ NHK2026年度前期 連続テレビ小説「風、薫る」制作のお知らせより抜粋

ここで、朝ドラ「風、薫る」の舞台となった、栃木県大田原市黒羽田町の古刹大雄寺を紹介します。
大雄寺は、私の好きな寺で今までに数回訪れて写真撮影しています。
大雄寺は600年以上の歴史を持つ曹洞宗の禅寺。 大雄寺の建築物は栃木県の文化財に指定されています。
国の重要文化財、栃木県指定文化財に指定されています。
また、季節によりシャガ、牡丹などが境内を埋め東国花の寺としても有名です。

山門に咲くシャガで満開でした。

ここ大雄寺は、鈴木福主演の「一休さん」のロケ地としても有名ですね。

写真は、座禅堂への回廊ですが大雄寺では座禅を体験することが出来るそうです。

下は、2002年5月に撮った牡丹です。この時は牡丹が境内を埋めていました。

大雄寺 オフィシャルサイト
〒324-0233 栃木県大田原市黒羽田町450番地 TEL:0287-54-0332

大雄寺周辺には、黒羽城址公園があります。
春には桜、初夏には紫陽花の名所として有名です。

黒羽城址公園の桜と紫陽花です。

石山にて(塩谷町佐貫)

ネガフィルムフォルダーを整理していたら懐かしいフィルムが出てきました。
今は、廃版になってしまった富士フイルム ミニコピーフィルムHR2 135 36枚撮りのネガフィルムです。
この頃は、ミニコピーフィルムで雲ばかり追いかけていた。
カメラは、一眼レフアサヒペンタックスSPとタクマーレンズ各種。
もう、40年も前の頃の写真遍歴です。

写真を撮っては、押し入れにこもって現像タンクにフィルムを巻き付けて自家現像に明け暮れていました。
その後、ダークバックを手に入れてからは押し入れ暗室は卒業。
インターネットでは、フィルムスキャナーで読み取ってPhotoBlogで写真を公開していました。
フィルムスキャナーを処分してしまったのでAdobe PhotoShopを利用してネガをポジに変換。
フィルムスキャナーからニコンD3200へ

写真は、40年前に塩谷町佐貫で撮った風景写真です。
この頃の石切り場は操業しておらず、廃墟となっていました。
この光景を見て、敢えてコントラストの強いミニコピーフィルムを使ってみました。
今でも、空の青さと石山の岩肌の白さが印象に残っています。

下は、岩山に付けられた道を登り切った所から見た岩山の風景。
誰もいない岩山の真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲が何故か寂しい。

廃墟となった石山に、秋風が吹き秋の訪れを告げるススキを見ると芭蕉の俳句が頭を過る。

”石山の 石より白し 秋の風”

※ 芭蕉は石川県金沢から小松へ、那谷寺(なたでら)を訪ねました。
奇岩霊石のそそり立つお寺です。
奇岩霊石を目にした芭蕉は、上記の句を詠みました。
寺の奇岩霊石は「凝灰岩」で灰白色の岩山です。

ハローCQ 朝ドラ「あんぱん」

8月21日の朝ドラ「あんぱん」の中に、いせたくや(いずみたく)がたかし(やなせたかし)に”きっと漫画の役に立つと『CQCQ』というアマチュア無線ドラマの脚本を依頼する”シーンが出てきて驚いた。
やなせたかしがアマチュア無線に関わっていたとは、今まで知らなかった。
と言うのも、私もアマチュア無線を趣味とするアマチュア無線家の一人でした。

私が無線従事者免許を取ったのは昭和44年高校2年の時でした。
確か東京蒲田の日本電子工学院で試験を受けました。
その当時はお金もなく開局は見送っていました。
電気屋の息子の友人が開局していたため、友人のシャックにただ乗りしていたような記憶があります。
友人は移動用トランシーバーのトリオTR1000を持っていたと思います。
その後、無線のことは忘れてしまい、平成10年に初めて開局しました。
その当時はアマチュア無線も最盛期で電波(144MHZ・430MHZのFM)を出すにも空のチャンネルが無かったと思います。
また、無線家同士のアイボールも盛んでバーベキューなどにもよく参加した思い出があります。
その後、HFに興味を持ち屋根の上にⅤ型のダイポールアンテナを建てて海外の邦人とも交信した思い出があります。
その後、3アマのライセンスを取得して、2011年ごろからインターネットを介したアマチュア無線通信(VOIP)に興味を持ち、Wires-ⅡとEcholink、PEANUT、ラズパイを利用して運用した思い出もありました。

私のアマチュア無線の紹介です。

QRZ.com JGUEV

これから、ドラマの中でやなせたかしがアマチュア無線にどの様に関わって行くのかにも大変興味があります。
放送を見てから非常に気になり、やなせたかしとアマチュア無線に関する記事をネットで検索してみました。

伝説のTVドラマ『ハローCQ』
伝説のTVドラマ『ハローCQ』コーナー
テレビドラマデータベース
伝説のTVドラマ『ハロー・CQ』
岩波映画製作所

朝ドラ「あんぱん」のこれからの展開が楽しみです。

2025年8月終戦の日 おやじの戦記

今日もまた、あの終戦の日がやってきた。
今年は、戦後80年目の終戦の日(終戦記念日)です。
昭和20年(1945年)、第二次世界大戦で日本が降伏し、国民に公表された日とされている。
私は終戦5年後1950年の戦後生まれで、その日も知らなければ、また、悲惨な戦争の事も知らない。
私が幼い頃、親父と一緒に小さな木の風呂に浸かりながら語ってくれた親父の満州での体験談などを今も覚えている。
父は戦争の事はあまり語らなかったが、子供ながらに戦争に参戦した親父の苦労した悲惨な出来事と戦地で体験した辛さを感じてはいた。
※ 上の写真で椅子に掛けているのが私の父。立っているのが私の従兄(父の兄の子)。

従軍した時の従軍記章。

特に、満州事変で黄河渡河作戦に参戦し、何日も川の中で足止めされた事。
それから、戦車に足を踏まれ、幸いにも泥の窪みに足が沈んで助けられた事(?)など。
マラリアに侵されて運よく野戦病院から小倉の陸軍病院に転院された事など、本当かなと思われる話などを風呂に入りながら自慢げによく聞かされた想い出がある。
私は、顎まで風呂に浸かり両握りこぶしを硬く握って聞いた覚えがある。

田舎の茶箪笥には親父が大切にしていた底の分厚い小さなグラスがいつも置いてあった。
田舎に帰ると親父の晩酌にはそのグラスに波波と酒を注ぎ、想い出深そうにしみじみと飲んでいた姿が今も目に映る。

今から30年ほど前、親父の手文庫から親父の軍隊手帳が出てきた。
そこには、一枚の写真と共に満州事変に参戦した時の事が生々しく綴られていた。
それから、晩年の父がその軍隊手帳から大学ノートに書き写していた姿が今でも目に浮かぶ。
満州で体験した戦争の悲惨な辛い情景を想い出しながら書き移していたのかも知れない。

その後、1998年に開設した私のホームページ「五月の風」に2005年ごろ「おやじの戦記」として載せてみた。
そこには、昭和12年ごろ母から戦地の父に宛てた数通の手紙も載せてみた。
親父の実家である栃木県日光市今市で暮らす母や小さな子供たちの事、銃後の事などが綴られていた。
下記の画像より閲覧できます。

今は、親父もお袋もこの世にはいない。
毎日、朝起きると仏前にお線香をあげ、お寺さんで頂いた御朱印帳を仏前に添えてうろ覚えの般若心経を唱えている。


日航機墜落事故から40年

今日13日は、ご先祖様をお迎えする迎え盆です。
朝から、馬に見立てたキュウリと牛に見立てたナスに割り箸で足を付け精霊馬を作りました。
そして、仏前に生花と果物と一緒に備えご先祖様をお迎えする準備が済みました。

精霊馬は、ご先祖様が乗って移動するためのものです。
迎え盆ではキュウリ(馬)をお供えして「現世に早く到着するように」と願いを込め、送り盆では「ゆっくりと帰られるように」とナス(牛)をお供えします。

ご先祖様が眠る霊園墓地は、迎え盆のためか駐車場は満杯。
墓にお供え物と水と線香をあげ、墓前に手を合わせて家族の無事安泰を報告。
それから今日は、娘の誕生日でもあり40年前の忌まわしい日航機墜落事故の日でもあった。

乗員乗客524名のうち死亡者数520名、生存者(負傷者)4名、と言う日本国内で発生した航空機事故では最悪とされる日航機墜落事故。
あの忌まわしい事故から、今年8月12日で40年を迎える。

40年前のこの日、我が家では3人目の子の出産予定日でもあった。
昨日から入院中の妻の元へは何度も足を運び、第3子の出産を今か今かと待ちわびていた。
午前7時50分、待ちに待った出産。
元気な産声と共に体重3000グラムの女の子が我が家族の一員となったおめでたい日であった。

夜になって、妻の母と子供たちでテレビを見ていると突然、衝撃のニュースが飛び込んできた。
確か、夜のニュース速報で飛行旅客機が行方不明になり墜落した模様という内容のものだったと思います。
そして翌13日、朝からテレビやラジオ各社で報道特別番組が組まれ、8月12日午後6時56分、群馬県多野郡上野村において日本航空羽田発伊丹行123便の墜落事故が明るみになりました。
突然の忌まわしい大きな事故にテレビの前に釘付けになった記憶があります。

下は、事故当時の悲惨な様子を紹介した週刊読売です。

今考えると、この日は我が家にとっては最大の喜びではあったが、航空史上稀に見る最悪の日航機墜落事故の犠牲者や遺族を考えると非常に複雑な一日であったと思いました。
そんな娘も今では40歳、子育てに忙しい毎日を送っているのではないだろうか。
お盆には孫を連れて里帰りするという。

娘の誕生には、娘にとって忘れることの出来ない歴史がある。
今は、子育てにと忙しい毎日だが40年前に偶然にもこの様な凄惨な事故が起きたことを胸に刻み、これからも子育てにと頑張ってもらいたい。
そして、是非この記憶をわが子にも伝えて行ってもらいたい。

追記
何故か、私の出生にも誕生秘話と云うものがある。
戦後、1950年10月27日に生を受けたのだが。
詳細は、雑木林/エッセイ「半世紀(冬)にて。


「是是非非」 気になる言葉

今日は8月7日、日が経つのも早いもので来週はお盆である。
しかし、暑い。例年にない猛烈な暑さ酷暑と言うべき日が続いている。
でも、今日は久々に朝から待ちに待った雨が地を潤してくれた。

今日も用を足しながらカレンダーに目を通す。
今日の言葉は、是是非非。
新聞やニュースなどでよく耳にする言葉。
政治家が良く使う言葉ではないだろうか。

「良い事は良い、悪い事は悪いと言う姿勢が「智」である。駄目だと思ってるのに良いですねと言ったり、良いと思ってるのに悪いと言ったりする事は愚か者のする事であると言ったのです。」
どの様な謂れのある言葉かと調べてみた。

中国の思想家、荀子の脩身編に出てくる言葉らしい。
意味などは下の画像を参考にしてほしい。

※ 荀子
※ 是々非々と同じような言葉に是非があるが是々非々とは意味が全然違うらしい。
   是非は、「物事の良し悪し」を問いかけるための名詞だそうです。
   「〜ついて是非をお聞かせ下さい」などと使う。

荀子といえば、私が結婚する前、中国の古代思想に興味があり、孟子や孫子などを読んだ時期がありました。
この頃は、吉川英治の作品が好きで宮本武蔵や三国誌などを読み漁っていたのでその影響もあったのかも。
でも、積読が多く、すべて読んだわけでもなかった記憶がある。
そんな時出会ったのが、徳間書店で発行していた中国の思想。

 

フィルムスキャナーからニコンD3200へ

前回紹介したEPSON/GT-9400UFがジャンクになってしまった。
色々と手を尽くしたのだが。
「NEGAVIEW PRO」もソフトがダウンロード出来ずにいた。
あるサイトで一眼レフカメラでネガフィルムを撮影してポジに変換する記事があった。

藁をも掴む思い出早速試してみた。
まず、機材。
カメラはNikonD3200
三脚はSILK ABLE300DX
ネガのバック光源は古いモニター
ネガキャリアーはGT-9400UFの付属品

機材をセットして撮影。
NikonD3200には、撮影画質がRAWとJPEGの同時記録が可能。
ネガ撮影には、RAW画質で撮影。
下は、ブロニーサイズのフィルムをネガキャリアーにセット。
これをモニターの前に置いて撮影。

RAWで撮影したデーターは、RAW現像が出来るAdobe PhotoShopを利用。
PhotoShop機能でネガを反転させグレーモード16ビット。
後は、画像処理を色々と試してポジ画像にしたのが下です。
出来るだけスキャナーで処理した画質に合わせようとしましたがなかなか無理のようです。
解像度は1000PXですが張りがなく眠たい画像になりました。

下は、GT-9400UFでスキャンした画像。
やはり解像度が違うようで黒に張りがあります。

下は、日光清瀧でブロニカで撮影した堰下の写真です。
PhotoShop機能でネガを反転させ画像処理したポジ画像。
こちらは、何とか見られそうです。
画像処理に時間をかけて丁寧に処理すればスキャナー無しでも十分かな。

後日、カラーフィルムでも試してみようかと思います。

※ 参考サイト
ネガフィルムのデジタル化・前編【環境】


フィルムスキャナー不能

長年愛用してきたフラッドヘッド型のスキャナーがダウンしてしまった。
2003年7月に発売されたEPSON/GT-9400UFです。
2005年頃に購入して、つい最近まで使っていた。
2年ほど前にはヘッドの可動部にガタが来て正常にスキャンできなくなり自分で分解して何とか修理した覚えがある。

しかし、昨日、フィルムをスキャンしようと電源を入れるとスイッチ部の赤ランプが点滅してしまい、ヘッドも動かなくなってしまった。
ソフトを入れ替えたりしてみたが復旧はしなかった。
不具合が出るたびに宥めながら長年使ってきたのだが、終に寿命が尽きてしまったようだ。

EPSON/GT-9400UFは、反射原稿と透過原稿(フィルム)が使えるがネガフィルム専用で使っていた。
若い時にペンタックスで35mmモノクロネガ、その後ゼンザブロニカを手に入れブロニーサイズのモノクロばかりを撮っていた。
しかし、カメラはフィルムより写真のプリントに金が掛かる。
下は、20歳のころ矢板市長峰公園で開催されたモデル撮影会(35mm)

初めの頃は現像やプリントはラボに頼んでいたがその後、ネガは自家現像で処理していた。
押し入れに入って現像タンクに巻いていたが、めんどいかったが楽しい想い出が沢山あった。
私の雑木林/エッセイ集の中に綴ってある。
現像てんまつ記 その一(夏)
現像てんまつ記 その二(秋)

先日、私のサイト「五月の風」のトップ画像をモノクロで表現しようとブロニカで撮影したお気に入りのネガをスキャンして画像を編集しようかと思っていた。
しかし、スキャナーが壊れていてはそれも無理。
いつも、スキャンした画像は原画サイズのままHDDに保存しているのだが、ブログ用の画像サイズにして保存してしまっていたようだ。

下が、その画像で日光市の中禅寺湖で撮影しいた桟橋の夕暮れ。

サイトのトップイメージの全面表示の解像度は最低1920ピクセルが必要だ。
上の画像は600ピクセルで全画面表示にはサイズが小さすぎる。
その為、ネガをスキャンして横幅1920ピクセルにしなければならない。
中古のフィルムスキャナーを手に入ればそのままスキャンすれば良いのだが資金に余裕がない。

そこで考え付いたのがスキャナーなしでネガを画像に変換できるスマフォアプリだ。
早速、無料で利用できる「KODAK Mobile Film Scanner」を試してみた。
無料でスマフォで簡単にスキャンできるが出力画像の品質がイマイチだ。
EPSON/GT-9400UFで使っていたネガキャリアーを利用しても不安が残る。

もう一つのスマフォアプリ「NEGAVIEW PRO」がある。
有料だがスマフォでスキャンしても原画に近い品質が期待できるそうだ。
しかし、「NEGAVIEW PRO」の使い方は把握できたのだが何故かソフトがダウンロード出来ない。
色々なサイトで確認しているのだが未だにダウンロード出来ずにいる。

これが利用できればフィルムスキャナーを新たに購入する必要も無くなるのだが。
ご存じの方がいらっしゃるならお教えいただきたい。




蓮(lotus)/ つがの里

栃木県栃木市つがの里に咲く蓮を撮ってみました。
つがの里の蓮は、古代ハスの大賀ハスと言われます。
蓮池に咲く蓮は大賀蓮一色で埋め尽くされています。
蓮の花の命は4日間と短く、朝咲き始めて昼前後には閉じてしまう儚い花です。
この時期になると、朝早くから多くのカメラマンが訪れます。

開催日・期間: 2025年06月20日(金)~2025年07月31日(木)
ハスは朝早くに花開き、正午を過ぎた頃には花が閉じてしまうので、午前中に訪れることをおすすめ。
開催場所: つがの里
住所: 栃木県栃木市都賀町臼久保325
アクセス(公共交通): 東武日光線家中駅より徒歩約50分
アクセス(自動車): 北関東自動車道「都賀」ICより約10分/東北自動車道「栃木」ICより約15分
無料駐車場: あり 550台
イベント備考: ペット入園禁止
つがの里花まつり公式アカウント

【大賀蓮】
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)です。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 大賀蓮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 蓮

ハスの花、すなわち蓮華は、清らかさや聖性の象徴として称えられることが多い。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という日本人にも馴染みの深い中国の成句が、その理由を端的に表している。
インドが原産で、古来インドでは、インダス文明の頃から、ハスの花は聖なる花とされ、地母神信仰と結びつき、神聖なるものの象徴とされていた。

蓮(ハス)の花言葉は「清らかな心」、「神聖」、「休養」、「沈着」、「離れゆく愛」、「救ってください」などがあります。
蓮の花言葉の詳細:
救ってください:仏教において、苦しみから救済を求める意味を持つ。
清らかな心:泥の中から清らかな花を咲かせることから。
神聖:仏教において神聖な花とされ仏陀が蓮華座に座る姿が描かれるなど宗教的な意味を持つことから。
休養:蓮の花が早朝に開き、午後には閉じるという特徴から。
沈着:俗人に染まらない君子の花とされ、物事に動じない冷静沈着な様子を表す。
離れゆく愛:蓮の花の寿命が短く、散りゆく姿から。

上は、私お気に入りの写真でスマフォの待ち受け画面にしています。
何時も、清らかな心でスマフォを眺めています。

追記
栃木県北の那須地域の御朱印巡礼で訪れた大田原市の寺院「龍泉寺」の蓮が印象に残っています。
下野三十三観音霊場第九番札所 龍頭山 龍泉寺です。
龍泉寺は、大田原市の東方旧陸羽街道の蛇尾川沿い付近にあるお寺です。

本堂の前に咲く蓮、手を合わせると何故か心が洗われます。

龍泉寺で頂いた御朱印

霊場巡礼in栃木 龍頭山 龍泉寺(大田原市) マイブログ
五月の風 マイサイト


古刹大中寺の動画とリベンジ

栃木県栃木市西山田の古刹大中寺の動画を作成しました。
大中寺は、栃木でも有名なアジサイの名所でもあります。
動画の素材は、2014年6月にNikonD3200で撮影した写真を使いました。
動画にBGMを入れてみました。

下は、高野素十代表句”方丈の大庇(おおびさし)より春の蝶”が想い出される本堂の大庇。

本堂前にあるモミジの大木(樹齢は?)、秋には真っ赤に染まるそうですよ。

大中寺には七不思議伝説があります。
下は、七不思議の中の油坂です。
(ある学僧が夜間の勉学のために本堂の灯明の油を盗んでいたが、それがある時ばれそうになって逃げようとして誤って石段から転げ落ちて死んでしまった。それ以降、この石段を上り下りすると不吉なことが起こるとして、使用が禁じられた。)
その他にも、根無し藤・不断の竈・東山の一口拍子木などがあります。

古刹大中寺は伝承によれば、1154年(久寿元年)、真言宗寺院として創建されたという。
1489年(延徳元年)、在地豪族の小山成長が快庵妙慶を開山に招いて再興。
このときが実質的な創建とみなされる。
天翁院(小山市)の中興開山でもある培芝正悦(ばいししょうえつ)が大中寺2世となった。
大中寺 ウィキペディアより)
また、上田秋成の雨月物語「青頭巾」はこの寺を舞台として書かれたものであるそうです。

下は、大中寺参道前をスナップしました。
懐かしい風景がありましたので思わずショット。

上は、その中のお気に入りの一枚。
何故か懐かしい。昭和30年代の懐かしき心象風景ですね。
私のメインサイト”五月の風”の雑木林にある駄菓子屋に出てくる様な光景かな。