2025年 8月 の投稿一覧

ハローCQ 朝ドラ「あんぱん」

8月21日の朝ドラ「あんぱん」の中に、いせたくや(いずみたく)がたかし(やなせたかし)に”きっと漫画の役に立つと『CQCQ』というアマチュア無線ドラマの脚本を依頼する”シーンが出てきて驚いた。
やなせたかしがアマチュア無線に関わっていたとは、今まで知らなかった。
と言うのも、私もアマチュア無線を趣味とするアマチュア無線家の一人でした。

私が無線従事者免許を取ったのは昭和44年高校2年の時でした。
確か東京蒲田の日本電子工学院で試験を受けました。
その当時はお金もなく開局は見送っていました。
電気屋の息子の友人が開局していたため、友人のシャックにただ乗りしていたような記憶があります。
友人は移動用トランシーバーのトリオTR1000を持っていたと思います。
その後、無線のことは忘れてしまい、平成10年に初めて開局しました。
その当時はアマチュア無線も最盛期で電波(144MHZ・430MHZのFM)を出すにも空のチャンネルが無かったと思います。
また、無線家同士のアイボールも盛んでバーベキューなどにもよく参加した思い出があります。
その後、HFに興味を持ち屋根の上にⅤ型のダイポールアンテナを建てて海外の邦人とも交信した思い出があります。
その後、3アマのライセンスを取得して、2011年ごろからインターネットを介したアマチュア無線通信(VOIP)に興味を持ち、Wires-ⅡとEcholink、PEANUT、ラズパイを利用して運用した思い出もありました。

私のアマチュア無線の紹介です。

QRZ.com JGUEV

これから、ドラマの中でやなせたかしがアマチュア無線にどの様に関わって行くのかにも大変興味があります。
放送を見てから非常に気になり、やなせたかしとアマチュア無線に関する記事をネットで検索してみました。

伝説のTVドラマ『ハローCQ』
伝説のTVドラマ『ハローCQ』コーナー
テレビドラマデータベース
伝説のTVドラマ『ハロー・CQ』
岩波映画製作所

朝ドラ「あんぱん」のこれからの展開が楽しみです。

2025年8月終戦の日 おやじの戦記

今日もまた、あの終戦の日がやってきた。
今年は、戦後80年目の終戦の日(終戦記念日)です。
昭和20年(1945年)、第二次世界大戦で日本が降伏し、国民に公表された日とされている。
私は終戦5年後1950年の戦後生まれで、その日も知らなければ、また、悲惨な戦争の事も知らない。
私が幼い頃、親父と一緒に小さな木の風呂に浸かりながら語ってくれた親父の満州での体験談などを今も覚えている。
父は戦争の事はあまり語らなかったが、子供ながらに戦争に参戦した親父の苦労した悲惨な出来事と戦地で体験した辛さを感じてはいた。
※ 上の写真で椅子に掛けているのが私の父。立っているのが私の従兄(父の兄の子)。

従軍した時の従軍記章。

特に、満州事変で黄河渡河作戦に参戦し、何日も川の中で足止めされた事。
それから、戦車に足を踏まれ、幸いにも泥の窪みに足が沈んで助けられた事(?)など。
マラリアに侵されて運よく野戦病院から小倉の陸軍病院に転院された事など、本当かなと思われる話などを風呂に入りながら自慢げによく聞かされた想い出がある。
私は、顎まで風呂に浸かり両握りこぶしを硬く握って聞いた覚えがある。

田舎の茶箪笥には親父が大切にしていた底の分厚い小さなグラスがいつも置いてあった。
田舎に帰ると親父の晩酌にはそのグラスに波波と酒を注ぎ、想い出深そうにしみじみと飲んでいた姿が今も目に映る。

今から30年ほど前、親父の手文庫から親父の軍隊手帳が出てきた。
そこには、一枚の写真と共に満州事変に参戦した時の事が生々しく綴られていた。
それから、晩年の父がその軍隊手帳から大学ノートに書き写していた姿が今でも目に浮かぶ。
満州で体験した戦争の悲惨な辛い情景を想い出しながら書き移していたのかも知れない。

その後、1998年に開設した私のホームページ「五月の風」に2005年ごろ「おやじの戦記」として載せてみた。
そこには、昭和12年ごろ母から戦地の父に宛てた数通の手紙も載せてみた。
親父の実家である栃木県日光市今市で暮らす母や小さな子供たちの事、銃後の事などが綴られていた。
下記の画像より閲覧できます。

今は、親父もお袋もこの世にはいない。
毎日、朝起きると仏前にお線香をあげ、お寺さんで頂いた御朱印帳を仏前に添えてうろ覚えの般若心経を唱えている。


日航機墜落事故から40年

今日13日は、ご先祖様をお迎えする迎え盆です。
朝から、馬に見立てたキュウリと牛に見立てたナスに割り箸で足を付け精霊馬を作りました。
そして、仏前に生花と果物と一緒に備えご先祖様をお迎えする準備が済みました。

精霊馬は、ご先祖様が乗って移動するためのものです。
迎え盆ではキュウリ(馬)をお供えして「現世に早く到着するように」と願いを込め、送り盆では「ゆっくりと帰られるように」とナス(牛)をお供えします。

ご先祖様が眠る霊園墓地は、迎え盆のためか駐車場は満杯。
墓にお供え物と水と線香をあげ、墓前に手を合わせて家族の無事安泰を報告。
それから今日は、娘の誕生日でもあり40年前の忌まわしい日航機墜落事故の日でもあった。

乗員乗客524名のうち死亡者数520名、生存者(負傷者)4名、と言う日本国内で発生した航空機事故では最悪とされる日航機墜落事故。
あの忌まわしい事故から、今年8月12日で40年を迎える。

40年前のこの日、我が家では3人目の子の出産予定日でもあった。
昨日から入院中の妻の元へは何度も足を運び、第3子の出産を今か今かと待ちわびていた。
午前7時50分、待ちに待った出産。
元気な産声と共に体重3000グラムの女の子が我が家族の一員となったおめでたい日であった。

夜になって、妻の母と子供たちでテレビを見ていると突然、衝撃のニュースが飛び込んできた。
確か、夜のニュース速報で飛行旅客機が行方不明になり墜落した模様という内容のものだったと思います。
そして翌13日、朝からテレビやラジオ各社で報道特別番組が組まれ、8月12日午後6時56分、群馬県多野郡上野村において日本航空羽田発伊丹行123便の墜落事故が明るみになりました。
突然の忌まわしい大きな事故にテレビの前に釘付けになった記憶があります。

下は、事故当時の悲惨な様子を紹介した週刊読売です。

今考えると、この日は我が家にとっては最大の喜びではあったが、航空史上稀に見る最悪の日航機墜落事故の犠牲者や遺族を考えると非常に複雑な一日であったと思いました。
そんな娘も今では40歳、子育てに忙しい毎日を送っているのではないだろうか。
お盆には孫を連れて里帰りするという。

娘の誕生には、娘にとって忘れることの出来ない歴史がある。
今は、子育てにと忙しい毎日だが40年前に偶然にもこの様な凄惨な事故が起きたことを胸に刻み、これからも子育てにと頑張ってもらいたい。
そして、是非この記憶をわが子にも伝えて行ってもらいたい。

追記
何故か、私の出生にも誕生秘話と云うものがある。
戦後、1950年10月27日に生を受けたのだが。
詳細は、雑木林/エッセイ「半世紀(冬)にて。


「是是非非」 気になる言葉

今日は8月7日、日が経つのも早いもので来週はお盆である。
しかし、暑い。例年にない猛烈な暑さ酷暑と言うべき日が続いている。
でも、今日は久々に朝から待ちに待った雨が地を潤してくれた。

今日も用を足しながらカレンダーに目を通す。
今日の言葉は、是是非非。
新聞やニュースなどでよく耳にする言葉。
政治家が良く使う言葉ではないだろうか。

「良い事は良い、悪い事は悪いと言う姿勢が「智」である。駄目だと思ってるのに良いですねと言ったり、良いと思ってるのに悪いと言ったりする事は愚か者のする事であると言ったのです。」
どの様な謂れのある言葉かと調べてみた。

中国の思想家、荀子の脩身編に出てくる言葉らしい。
意味などは下の画像を参考にしてほしい。

※ 荀子
※ 是々非々と同じような言葉に是非があるが是々非々とは意味が全然違うらしい。
   是非は、「物事の良し悪し」を問いかけるための名詞だそうです。
   「〜ついて是非をお聞かせ下さい」などと使う。

荀子といえば、私が結婚する前、中国の古代思想に興味があり、孟子や孫子などを読んだ時期がありました。
この頃は、吉川英治の作品が好きで宮本武蔵や三国誌などを読み漁っていたのでその影響もあったのかも。
でも、積読が多く、すべて読んだわけでもなかった記憶がある。
そんな時出会ったのが、徳間書店で発行していた中国の思想。

 

フィルムスキャナーからニコンD3200へ

前回紹介したEPSON/GT-9400UFがジャンクになってしまった。
色々と手を尽くしたのだが。
「NEGAVIEW PRO」もソフトがダウンロード出来ずにいた。
あるサイトで一眼レフカメラでネガフィルムを撮影してポジに変換する記事があった。

藁をも掴む思い出早速試してみた。
まず、機材。
カメラはNikonD3200
三脚はSILK ABLE300DX
ネガのバック光源は古いモニター
ネガキャリアーはGT-9400UFの付属品

機材をセットして撮影。
NikonD3200には、撮影画質がRAWとJPEGの同時記録が可能。
ネガ撮影には、RAW画質で撮影。
下は、ブロニーサイズのフィルムをネガキャリアーにセット。
これをモニターの前に置いて撮影。

RAWで撮影したデーターは、RAW現像が出来るAdobe PhotoShopを利用。
PhotoShop機能でネガを反転させグレーモード16ビット。
後は、画像処理を色々と試してポジ画像にしたのが下です。
出来るだけスキャナーで処理した画質に合わせようとしましたがなかなか無理のようです。
解像度は1000PXですが張りがなく眠たい画像になりました。

下は、GT-9400UFでスキャンした画像。
やはり解像度が違うようで黒に張りがあります。

下は、日光清瀧でブロニカで撮影した堰下の写真です。
PhotoShop機能でネガを反転させ画像処理したポジ画像。
こちらは、何とか見られそうです。
画像処理に時間をかけて丁寧に処理すればスキャナー無しでも十分かな。

後日、カラーフィルムでも試してみようかと思います。

※ 参考サイト
ネガフィルムのデジタル化・前編【環境】