
今日もまた、あの終戦の日がやってきた。
今年は、戦後80年目の終戦の日(終戦記念日)です。
昭和20年(1945年)、第二次世界大戦で日本が降伏し、国民に公表された日とされている。
私は終戦5年後1950年の戦後生まれで、その日も知らなければ、また、悲惨な戦争の事も知らない。
私が幼い頃、親父と一緒に小さな木の風呂に浸かりながら語ってくれた親父の満州での体験談などを今も覚えている。
父は戦争の事はあまり語らなかったが、子供ながらに戦争に参戦した親父の苦労した悲惨な出来事と戦地で体験した辛さを感じてはいた。
※ 上の写真で椅子に掛けているのが私の父。立っているのが私の従兄(父の兄の子)。

従軍した時の従軍記章。

特に、満州事変で黄河渡河作戦に参戦し、何日も川の中で足止めされた事。
それから、戦車に足を踏まれ、幸いにも泥の窪みに足が沈んで助けられた事(?)など。
マラリアに侵されて運よく野戦病院から小倉の陸軍病院に転院された事など、本当かなと思われる話などを風呂に入りながら自慢げによく聞かされた想い出がある。
私は、顎まで風呂に浸かり両握りこぶしを硬く握って聞いた覚えがある。
田舎の茶箪笥には親父が大切にしていた底の分厚い小さなグラスがいつも置いてあった。
田舎に帰ると親父の晩酌にはそのグラスに波波と酒を注ぎ、想い出深そうにしみじみと飲んでいた姿が今も目に映る。

今から30年ほど前、親父の手文庫から親父の軍隊手帳が出てきた。
そこには、一枚の写真と共に満州事変に参戦した時の事が生々しく綴られていた。
それから、晩年の父がその軍隊手帳から大学ノートに書き写していた姿が今でも目に浮かぶ。
満州で体験した戦争の悲惨な辛い情景を想い出しながら書き移していたのかも知れない。

その後、1998年に開設した私のホームページ「五月の風」に2005年ごろ「おやじの戦記」として載せてみた。
そこには、昭和12年ごろ母から戦地の父に宛てた数通の手紙も載せてみた。
親父の実家である栃木県日光市今市で暮らす母や小さな子供たちの事、銃後の事などが綴られていた。
下記の画像より閲覧できます。

今は、親父もお袋もこの世にはいない。
毎日、朝起きると仏前にお線香をあげ、お寺さんで頂いた御朱印帳を仏前に添えてうろ覚えの般若心経を唱えている。
