
今日13日は、ご先祖様をお迎えする迎え盆です。
朝から、馬に見立てたキュウリと牛に見立てたナスに割り箸で足を付け精霊馬を作りました。
そして、仏前に生花と果物と一緒に備えご先祖様をお迎えする準備が済みました。
精霊馬は、ご先祖様が乗って移動するためのものです。
迎え盆ではキュウリ(馬)をお供えして「現世に早く到着するように」と願いを込め、送り盆では「ゆっくりと帰られるように」とナス(牛)をお供えします。

ご先祖様が眠る霊園墓地は、迎え盆のためか駐車場は満杯。
墓にお供え物と水と線香をあげ、墓前に手を合わせて家族の無事安泰を報告。
それから今日は、娘の誕生日でもあり40年前の忌まわしい日航機墜落事故の日でもあった。
乗員乗客524名のうち死亡者数520名、生存者(負傷者)4名、と言う日本国内で発生した航空機事故では最悪とされる日航機墜落事故。
あの忌まわしい事故から、今年8月12日で40年を迎える。
40年前のこの日、我が家では3人目の子の出産予定日でもあった。
昨日から入院中の妻の元へは何度も足を運び、第3子の出産を今か今かと待ちわびていた。
午前7時50分、待ちに待った出産。
元気な産声と共に体重3000グラムの女の子が我が家族の一員となったおめでたい日であった。
夜になって、妻の母と子供たちでテレビを見ていると突然、衝撃のニュースが飛び込んできた。
確か、夜のニュース速報で飛行旅客機が行方不明になり墜落した模様という内容のものだったと思います。
そして翌13日、朝からテレビやラジオ各社で報道特別番組が組まれ、8月12日午後6時56分、群馬県多野郡上野村において日本航空羽田発伊丹行123便の墜落事故が明るみになりました。
突然の忌まわしい大きな事故にテレビの前に釘付けになった記憶があります。
下は、事故当時の悲惨な様子を紹介した週刊読売です。



今考えると、この日は我が家にとっては最大の喜びではあったが、航空史上稀に見る最悪の日航機墜落事故の犠牲者や遺族を考えると非常に複雑な一日であったと思いました。
そんな娘も今では40歳、子育てに忙しい毎日を送っているのではないだろうか。
お盆には孫を連れて里帰りするという。
娘の誕生には、娘にとって忘れることの出来ない歴史がある。
今は、子育てにと忙しい毎日だが40年前に偶然にもこの様な凄惨な事故が起きたことを胸に刻み、これからも子育てにと頑張ってもらいたい。
そして、是非この記憶をわが子にも伝えて行ってもらいたい。
追記
何故か、私の出生にも誕生秘話と云うものがある。
戦後、1950年10月27日に生を受けたのだが。
詳細は、雑木林/エッセイ「半世紀(冬)にて。
