典座教訓 道元禅師(アーカイブ)

読売新聞日曜版の名言巡礼に道元禅師を紹介する記事が載っていました。
道元は、曹洞宗の開祖で京都比叡山で修行したのち中国の宋に渡って修行を積まれ、越前の永平寺に座禅修行道場を開きました。
記事には日常の食事を作ることも食べることも大切な修行という典座教訓の教えが書かれていました。
この記事を読んで若い頃に座禅に興味を持ち一時期凝った覚えがあります。
この頃は悩み多き時代で、仕事などに対しての悩みを何とか解決する術はないものかという想いからでした。
友人に相談したら座禅などやったら面白いのではないかとのこと。
友人もこの頃仏教(新宗教ではありません)に凝っていた時期でもあり、2人で座禅会に参加してみました。
会場は、栃木県鹿沼市上久我にある曹洞宗のお寺常真寺でした。
住職(皆川廣義、駒澤大学名誉教授)(第38回前日光緑陰禅の集い平成8年7月20日)
一泊二日の参禅会では、午後1時から皆川先生の講話から始まり、入浴、夕食、座禅があり午後10時には開枕(就寝)。
二日目は、午前4時20分に起床し、座禅、作務、朝食、講話、座禅、昼食、そして解散となりました。
下は、その時の資料です。
曹洞禅ネット オフィシャルサイト

参禅会の日程表

下は、食事のときに唱える食事の偈
五観の偈は食前に唱え、普回向は食後に唱える。

座禅会に参加して、寺を去る時のあの気分の清々しさは今になっても忘れることが出来ません。
それからと言うもの、座禅に関する本を読み漁った覚えがあります。
また、機会があったら参禅したいと思っています。

大森曹玄著の参禅入門、NHKこころをよむ正法眼蔵(禅の道筋)などが参考になりました。
今でも、私の座右の銘にしている言葉があります。
随処に主となれば、立処みな真なり(臨済録より)
※「随処に主となれば、立処皆真なり」とは、『臨済録』に由来する禅語で、「常に主体性を持って行動すれば、その場所すべてが真実になる」という意味です。いつ、どこにいても「主人公」としての意識を忘れず、自分の置かれた場所で懸命に努力すれば、真実の生き甲斐や真理がその場所に現れるという教えです。

下は、栃木県大田原市黒羽町の大雄寺の萱葺きの廻廊の座禅堂の写真です。

大雄寺 オフィシャルサイト
〒324-0233 栃木県大田原市黒羽田町450番地
TEL 0287-54-0332

※ 記事撮影 2017年12月05

瀧海山常珍寺(芳賀町)第十六番札所

栃木県芳賀郡芳賀町水沼にある下野三十三観音第十六番札所瀧海山常珍寺です。
常珍寺は天台宗のお寺で宇都宮市街から国道123号を東方に12km程の所にあります。
ここは丘陵で境内からは下界に広がる田園風景を見ることが出来ます。

長い石段を登ると山門の奥に古い本堂が見えてきます。
山門の左手には手水舎がありますが水は張ってありませんでした。

本堂の拝殿には瀧海山の額が掛かり、その周りには見事な彫刻を見ることが出来ます。

旧参道から薄暗い石段を登ると茅葺屋根の仁王門があり両側には阿吽の仁王像が目を剥いております。

仁王門の奥には茅葺屋根の観音堂がありここで参拝。
この中に常珍寺の本尊聖観音が祀られているのだろう。

天安2年(858年)比叡山延暦寺第三世座主慈覚大使円仁の開基である。
境内に滝があったことから瀧海山と呼ばれた。
延宝年間(1673年)に山崩れのため諸堂宇、滝ともに埋没したが、天和3年(1683年)当山二十二世賢榮法師がこれをなげいて、現在地を選んで堂宇を再建して教化怠らず、元禄年中、第二十四世慶海僧正中興の祖として、観音堂、仁王門、大門、鐘楼などを建立し、仁王像、諸仏像を鋳造した。
秘仏「聖観世音」は、寺伝によると八幡太郎義家が、寛治元年、後三年の役に際して「諸仏」を当山に奉安し、戦勝祈願した。
(芳賀町サイトより)

上右は、堂宇の隅に捨て置かれた人力車。
誰が使ったものだろうか。
下右は、境内内の鐘楼。

下左は、自然石に彫られた松尾芭蕉の句碑。
“觀音の甍見やりつ花くもり”
文化2年(1805)10月
旭山 慈澄建立

私のサイト“奥の細道in栃木“の中に有る常珍寺の句碑

山門の入口には枝垂れ桜が咲き。
本堂拝殿脇には春を告げる紅梅の蕾がほころび始めていました。

野辺にはお地蔵様に花が添えられ、石仏が静寂の中に佇んでいました。

下左は、庫裡から続く観音堂への石畳。
下右は、境内から見た眼下に広がる田園風景。

下左は、常珍寺の由来。
下右は、常珍寺で頂いた御朱印。

常珍寺
栃木県芳賀郡芳賀町西水沼1236
TEL 028-678-0411

※ 取材撮影 2017年03月28日

大慈山 長命寺(芳賀町)第十五番札所

栃木県芳賀郡芳賀町にある下野三十三観音第十五番札所大慈山 長命寺の紹介です。
長命寺は芳賀町の北部で芳賀北小学校の西方にある由緒あるお寺です。
境内は鬱蒼とした森の中にあり、山桜業林は町の指定天然記念物に指定されています。

山門を潜ると右手に手水舎があり左手には六地蔵が出迎えてくれます。
手入れの行き届いた庭を両側に見て進むと正面に本堂があります。

長命寺の宗派は天台宗で御本尊は阿弥陀如来です。
寺は天安元年(857年)3月に建てられましたが度々の火災などにより幾度か興廃しました。
昭和四十六年には第二十六世貞教大僧正により現在地に再建されたそうです。
また、本堂上の菊花御紋章は京都青蓮院門跡より孝明天皇常用輿の門を下賜されたそうです。

境内の山門手前から長い階段を登りきると観音堂があります。
観音堂は、治承元年(1177年)行基菩薩作、聖観世音菩薩を安置したものであったが火災にて失いました。
現尊像、御堂は鎌倉時代中期から後期の作といわれています。(下写真)

観音堂の拝殿の桁には目を見張るような見事な彫刻が施されています。(下写真)

下左は、見事な彫刻が施された拝殿。

上右と下左は、境入り口付近にある石仏。
下右は、長命寺で頂いた御朱印です。

大慈山 長命寺で頂いた御朱印です。

大慈山 長命寺
栃木県芳賀郡芳賀町下高根沢2970
TEL 028-677-0539

※ 取材撮影 2017年12月20日


三光山 慈眼寺(市貝町)

栃木県芳賀郡市貝町にある下野三十三観音霊場第十四番札所 三光山 慈眼寺です。
三光山慈眼寺は、市貝町のほぼ中央県道338号線沿いにあります。
県道から入ると境内まで桜の老木が数本あります。
参道の正面には観音堂、その脇には薬師堂があります。

慈眼寺の宗派は、真言宗豊山派。
ご本尊は、十一面観世音菩薩です。
京仏師春日の鎌倉期の作と伝えられています。
住職の話では、開山は今から800年ほど前だそうです。

上は、観音堂の拝殿。
下は、薬師堂。

下左は、境内から見た薬師堂です。

下は、弘法大師を祀った石像かな?

下は、鐘楼でその脇にはかなりの樹齢のイチョウがあります。

上と下は、慈眼寺の本堂。右は、六地蔵です。

栃木県は雷の産地で、境内には雷神社が祀られていました。(下左)

下左は、ご本尊の十一面観世音菩薩像の案内板。
下右は、慈眼寺で頂いた御朱印です。

三光山 慈眼寺
栃木県芳賀郡市貝町赤羽2725
TEL 0285-68-0600

※ 取材撮影 2017年6月12日


獨鈷山西明寺(芳賀郡益子町)

栃木県益子町にある下野三十三観音第十三番札所獨鈷山普門院西明寺です。
西明寺は、坂東三十三観音第二十番札所でもあります。
真岡鉄道の益子駅から南東に3kmほど行った獨鈷山の中腹に西明寺はあります。
受付に御朱印張を預け、石段を登って山門へ。
石段の両脇には数体の石仏が参拝者を待ち受けていました。

石段を登り詰めると前面に楼門(仁王門)、左手には三重塔が聳え立っています。
本堂の前にある手水で手と口を清め、本堂の拝殿にて参拝。
ここで、先日購入した般若心経経本を開き唱える。
本堂内の彫刻が素晴らしく暫し見惚れてしまいます。(下写真)
本堂内には、鎌倉時代に作られた聖観音菩薩、馬頭観音菩薩、千手観音菩薩、延命観音菩薩、如意輪観音菩薩、勢至菩薩などの仏像が安置されています。

下は、本堂の全景です。(国指定重要文化財)

本堂の廊下の東端にはおびんずる様があり、頭と目をさすってきました。(下中)

下は、楼門の左脇にある三重塔(国指定重要文化財)

下は、楼門の右脇にある閻魔堂。
薄暗い堂内には、閻魔大王、善童子、悪童子、奪衣婆、地蔵尊の仏像が立っています。

ここの閻魔様は、笑い閻魔と言って笑っているようです。(下中)
アッと驚く、タメゴロウ?と言っている様なひょうきんな感じがします。
堂内の左奥には、奪衣婆が恐ろしい様に座っています。(下左)
また、救われたかのように地蔵菩薩が右奥に立っていました。(下右)

下は、悪童子と笑い閻魔。

下左は、境内の左奥にある鐘楼堂。
下右は、弘法大師像が納められた弘法太子堂。

石段の参道脇の石仏が私の心を癒してくれました。
下右は、受付で頂いた獨鈷山西明寺の御朱印です。

西明寺 オフィシャルサイト
栃木県芳賀郡益子町益子4469
TEL (0285) 72-7122

大慈山 永徳寺(市貝町)

栃木県芳賀郡市貝町にある下野三十三観音霊場第十二番札所 大慈山 永徳寺です。
永徳寺は、市貝町の東方の観音山にあります。
観音山には村上城址があり、太い桜並木の奥には永徳寺への石段が続いています。

観音堂は昔、飛騨の匠によって作られ、現在の堂宇は慶長十年(1605年)に造作された総ケヤキ造り。
威圧するような白木造りの堂宇は、彫刻も素晴らしく風雪に耐えた歴史が深く感じ取れます。

永徳寺は弘仁六年(815年)に開山された寺です。
宗派は真言宗。
ご本尊は千手観音菩薩でお前立は鎌倉時代の作とされています。

観音山には村上城址があります。

永徳寺は、無住です。
御朱印は、檀徒代表の永山昭市様宅で頂くことが出来ます。(要確認)

滝尾山太平寺(那須烏山市)

那須烏山市滝にある第十一番札所滝尾山太平寺です。
立派な山門があり境内が広く、残念ながら無住のお寺でした。

大きな山門(仁王門)には、仁王像が置かれています。

本堂の拝殿。

太平寺には、大久保家のお家騒動の中、藩主の娘・琴姫が女中が化身したという蛇に守られながらお家の安泰を成し遂げると言う蛇姫様伝説があります。
境内の本堂前には、蛇姫様にゆかりの墓やお堂があります。(上画像)

太平寺の御朱印

岩谷観音(大田原市)

栃木県大田原市堀ノ内にある下野三十三観音第十番札所岩谷観音の紹介です。
大田原市より国道461号線を東進して黒羽町へ向かいます。
黒羽町より那珂川を渡って1.5kmほど行き、左手に曲がって県道27号線に入ります。
そこから1kmほど行った左手の山の中に岩谷観音があります。

参道を登りきると、鬱蒼とした杉林の中に観音堂があります。
境内の右手には杉の巨木が2本。

白木造りの観音堂にはご本尊の千手千眼観世音菩薩がと本尊の御前立像が祀られています。
木造千手千眼観世音菩薩坐像は、室町時代の制作と云われています。

細い参道には、秋を告げるかのように真っ赤な彼岸花が咲き始めていました。

御朱印は、参道入り口の右手にある電気工事店「はなやま電設」様で頂くことが出来ます。
(要確認)

龍頭山 龍泉寺(大田原市)

栃木県大田原市山の手にある下野三十三観音霊場第九番札所 龍頭山 龍泉寺です。
龍泉寺は、大田原市の東方旧陸羽街道の蛇尾川沿い付近にあるお寺です。

石門の奥には駐車場があり、山門からは朱色の本堂が見えてきます。

龍頭山 龍泉寺は、真言宗智山派のお寺で千手観世音菩薩像をご本尊としています。
その歴史は古く、1494年に大俵康晴(大田原氏の始祖)が狩野庄福原郷水口(大田原市町島)に城を築き、城の西方に龍泉寺を移して菩提寺・祈願寺としたそうです。(現在の菩提寺は龍泉寺の隣にある光真寺です。)

本堂は2001年に再建され、その様式は奈良の秋篠寺を模したそうです。
材料の木柱は桧造りで、奈良桜井から桧材を調達したそうです。
私も材木屋に長年居たので木材については良くわかりますが、龍泉寺で使われた桧材には驚きました。
丸柱が十数本使われているそうですが無垢で無節、これは見事の言葉に尽きました。

龍泉寺で頂いた御朱印です。

大田原城は、大田原資清(すけきよ)によって築城され、天文12年(1543)あるいは天文14年(1545)にそれまで本拠としていた町島(まちじま)の水口居館(みなくちきょかん)(市指定史跡)から移ったといわれます。以後、明治4年(1871)の廃藩置県にいたるまでの大田原氏の居城でした。(大田原市サイト

蛇尾川沿いの小高い丘にある城跡は整備され大田原市民の憩いの場となっているそうです。
土塁跡には大きな桜の木があり、春4月には桜祭りが行われるそうです。

補陀落山観音寺(矢板市)

栃木県矢板市沢にある下野三十三観音第八番札所補陀落山観音寺(澤観音寺)です。
真言宗智山派のお寺で、ご本尊は千手観世音菩薩坐像で鎌倉時代の作です。
補陀落山観音寺は、矢板市の北東に位置しすぐ北側には箒川が流れています。

山門入り口には水かけ薬師像があり、ご利益があるように水を掛けてきました。
石段を登り山門をくぐると額に補陀落山と書かれた本堂があります。

本堂と鐘楼(鐘つき堂)です。

慈母澤観音像。荘厳なお姿に合掌。

観音寺に建つ澤村城址の石碑です。
澤村城は、那須与一宗隆の七兄・七郎満隆が築城されたと伝えられています。

補陀落山観音寺(澤観音寺)
栃木県矢板市沢393
TEL 0287-44-0548