三級山 近龍寺(栃木市)下野三十三観音第二十四番札所

栃木県栃木市万町にある下野三十三観音第二十四番札所三級山 近龍寺の紹介です。
近龍寺は、栃木市内の中心部に位置する由緒あるお寺です。
大通りにある栃木市役所の南の交差点から路地を入ると奥に山門が見えてきます。

山門の奥の境内の中央には立派な本堂があります。
拝殿には素晴らしい彫刻も見られます。

三級山近龍寺は浄土宗の寺院で、室町時代の応永28年(1421)に、浄土宗の僧侶である良懐上人によって創建されました。
ご本尊は聖観世音菩薩で鎌倉時代の作と云われています。
毎年7月10日の観音様の縁日「四万六千日」の日に開帳されています。

境内には、昭和に建立された鐘楼堂(納骨堂)があります。

火防の秋葉権現堂。
明治時代の初めに栃木県最初の小学校発祥の地であったことに因んで建てられた碑。

近龍寺の北側の墓地には、栃木市出身の文豪で文化勲章受賞の山本有三先生のお墓があります。
山本有三(wikipediaより)

墓碑に彫られた山本有三の言葉です。

近龍寺で頂いた御朱印です。

三級山 近龍寺の動画です。

近龍寺
栃木県栃木市万町22-4
TEL 0282-22-0802
近龍寺 オフィシャルサイト

撮影・記事 2017年12月

日光山 中禅寺(日光市)坂東三十三観音霊場第十八番札所

栃木県日光市中禅寺にある坂東三十三観音霊場第十八番札所日光山中禅寺です。
日光市街から神橋を左手に直進しいろは坂を登って歌が浜へ。
日光山中禅寺は奥日光中禅寺湖の歌が浜の湖畔あります。
中禅寺湖の遊覧船乗り場前にある無料駐車場に車を置いて立木観音の受付で拝観券(500円)を購入。
正面の両脇に控える阿吽の仁王像の山門(仁王門)から山内へ。

中禅寺は、784年、日光開山勝道上人によって建立されましたお寺です。
日光山輪王寺の別院で宗派は天台宗、御本尊は十一面千手観世音菩薩(国重要文化財)です。
勝道上人が中禅寺湖上に千手観音様をご覧になりその姿を桂の立木に彫ったと伝えられています。

上は、男体山を背にした鐘楼で鐘を突くことも出来ます。
入り口付近の壁や天井には千社札が沢山貼られていました。

下は、愛染明王を祀った愛染堂です。
ここは、映画『愛染かつら』のロケ地として有名です。
また、縁結びにご利益があるとして信仰を集めています。

下は、本堂の立木観音堂で本尊の千手観音(十一面千手観音)像が安置されています。
木造千手観音立像は立木観音堂に安置され、像高約6メートルでかつら材の一木彫とされています。
勝道上人が延暦年間に立木に彫刻したと伝えられています。

上は、立木観音堂から見た五大堂です。
堂内には不動明王を中心として降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王からなる五大明王像が安置されています。
また、堅山南風による天井画「瑞祥龍」は有名です。

下は、五大堂から見た男体山。
五大堂から見た中禅寺湖。

下は、歌が浜の無料駐車場から見た鐘楼。
桜が満開でした。

日光山中禅寺は、坂東三十三ヶ所観音霊場十八番札所です。
下は、中禅寺で頂いた御朱印です。

日光山中禅寺 オフィシャルサイト
栃木県日光市中禅寺歌ヶ浜

撮影・記事 2017年5月

伊吹山 善応寺(栃木市)第二十三番札所

栃木県栃木市吹上町にある下野三十三観音霊場第二十三番札所 伊吹山善応寺です。
善応寺は、栃木市内から北西に3kmほど行った赤津川のほとりにあります。
近くには栃木市立の吹上小学校と吹上中学校がありその中間地点に鎮座しています。
赤津川脇に車を置き石段を登ると境内の中央に観音堂があります。

拝殿から格子窓を覗くと祭壇がありその奥に厨子がありました。
ここにご本尊の聖観世音菩薩像が置かれているのでしょうか。

善応寺は、日光開山の祖勝道上人が開基されたと伝えられています。
現在の観音堂は江戸時代初期に建立されたと伝えられています。
善応寺の宗派は、新義真言宗。
ご本尊は、聖観世音菩薩。
※ 新義真言宗では加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする説)を説くことが教義上の教えである。

拝殿周辺の彫り物は白木造りの立派な彫刻を見ることが出来ます。

伊吹山は「美濃と近江との境なる山にあらず下野なり」と記しているように東国の歌枕として知られ平安時代以降多くの歌人に詠まれてきた名所です。江戸時代特にここに自生する七葉の艾(よもぎ)をもって製した「もぐさ」は薬効があるとされていました。(下右写真)

下は、境内脇にある石塔類。

下は、境内脇の石仏と石碑。
右は、伊吹山善応寺の御朱印です。
※ 御朱印は赤津川橋脇にある渡辺電気設計様で頂くことが出来ます。

伊吹山善応寺
栃木県栃木市吹上町


※ 撮影・データ 2017年6月27日

医王山玉塔院(栃木市)第二十二番札所

栃木県栃木市都賀町にある下野三十三観音第二十二番札所医王山玉塔院です。
医王山玉塔院は、栃木市中心地から北方へ4kmほど行った原宿地区にあります。

駐車場の南側には薬師堂があります。
お堂の中には、1651年に作られたという薬師如来が祀られています。

下は、お堂の内部で中央の厨子に薬師如来が祀られているのかな。

薬師堂から直進し、山門をくぐると広い境内があり中央には立派な本堂があります。
この本堂は、塩谷町の寺社仏閣専門の建設会社で作られたそうです。
かなり素晴らしい桧や欅の無垢の建築材が使われていました。

下は、本堂の様子です。本無垢の素晴らしい建築部材が使われていました。

下は、本堂脇に祀られた本尊の十一面観世音菩薩立像です。

本尊の十一面観世音菩薩立像は穏やかな表情をされており心が癒されます。合掌。

下は、医王山玉塔院で頂いた御朱印です。

元の下野三十三観音第二十二番札所は同じ町内にあった華厳寺でしたが、1870年に火災で焼失してしまい廃寺となってしまいました。
その後、札所として受け継いだのが医王山玉塔院です。
※ 華厳寺は、日光を開山された勝道上人が789年に下野国都賀郡城山に建立。(下写真参照)

医王山玉塔院
栃木県栃木市都賀町原宿181

※ 撮影・データ 2017年1月27日

下は、栃木県栃木市都賀町臼久保のつがの里に移築された華厳寺跡の観音堂です。

下は、つがの里のシンボル、樹齢170年の山桜です。

医王山玉塔院には、深い想い出がある。
私が義兄の経営する木材会社に入った頃、取引先の大工さんが玉塔院の薬師堂の屋根替えを請け負っていました。
多分、屋根の下地材の野垂木や野地板を納品した覚えがある。
その頃、私は写真を趣味にしていて暇さえあればカメラにモノクロフィルムを詰めて撮り歩いていた。
偶然にも大工さんが屋根の天辺に登った時シャッターチャンスが訪れた。
それが下の写真である。今でも大工さんのお宅にはこの時撮った写真が数枚飾られている。
MysiteBlog 風のつぶやき

 

医王山 興生寺(壬生町)第二十一番札所

栃木県下都賀郡壬生町にある医王山興生寺の紹介です。
興生寺は、壬生町中心部より西方にある由緒あるお寺です。

古い桜木の石門を進むと山門があります。(上写真)
下右は、境内から見た参道。

山門を潜ると広い境内があり、中央に本堂、左手に瑠璃殿があります。

医王山興生寺は、平安時代初期(807年)に開創されその後、戦国武将壬生家により寺格が整ったといわれています。
江戸時代までは、壬生城主の祈願所でもありました。
宗派は、真言宗智山派でご本尊は大日如来です。
下野三十三観音霊場第二十一番札所にもなっています。

本堂は、平成15年に改修復元工事が行われました。
本堂内を案内して頂きましたが、丸柱や差鴨居などにはケヤキが使われています。
また、格天井に描かれた絵の素晴らしさには目を見張ってしまうほどの素晴らしさです。

本堂脇には、寺へ伝わる古文書が展示されていました。

格式ある木造の本堂の素晴らしさにも目を見張ってしまいます。

本堂脇には古い瑠璃殿があり、中には薬師如来・十二神将・聖観音・六観音が祀られています。

境内には、元禄十年(1703年)に植えられたとする太いカヤの木があり、町の天然記念物に指定されています。

興生寺で頂いた下野三十三観音第二十一番の御朱印です。
私が訪れたときはお盆前の大変忙しい時期でもありました。
それでも、親切に対応して頂きました。
しかし、お寺さんの檀家様も多く、忙しい時期にはなかなか対応できない事があるそうです。

医王山 興生寺
栃木県下都賀郡壬生町本丸2丁目15−31
TEL 0282-82-0538

記事撮影 2017年08月05日

瑠璃光山常楽寺(鹿沼市)番外

栃木県鹿沼市下粕尾地区にある常楽寺の紹介です。
常楽寺は鹿沼市中心部から南西へ15kmほどの所にあります。

彼岸花に囲まれた手水舎で手と口を清め境内へ。
参道の右手には朱色のお堂瑠璃堂があります。(下写真)

正面には、中野智玄(録事法眼)を祀った朱色の録事堂があります。(下写真)

下は、境内から見た録事堂。
録事堂には萩が咲き乱れていました。

常楽寺は花の寺としても有名で東国花の寺百ヶ寺にも参加しています。
栃木第六番札所で御朱印もいただけるそうです。
下は、彼岸花に染められた常楽寺。

常楽寺は、真言宗豊山派のお寺で薬師瑠璃光如来をご本尊として祀られています。

常楽寺は、建久元年1190年に没した名医中野智元(録事法眼)を祀ったお寺です。
中野智玄(録事法眼)は安蘇郡粕尾村の人で病気治療の名人といわれ、文治年中(1185年~1190年)、智玄は糸脈で後鳥羽上皇の病を判断しお薬を処方して差し上げたところお悩みはたちまち平癒してしまったそうです。

下は、録事堂脇にある石仏と案内板。
石仏は、智玄と妻・娘をかたどったものといわれています。

常楽寺
栃木県鹿沼市下粕尾949

記事撮影 2017年09月20日

加蘇山神社(鹿沼市)番外

栃木県鹿沼市上久我地区にある加蘇山神社です。
加蘇山神社は、鹿沼市街より県道240号線で西方へ18kmほどの山間部にあります。
荒井川に沿って一番奥の上久我石裂地区まで行くとここには数軒だけが残る限界集落です。
道の左手には、加蘇山神社の社務所がありここで御朱印を頂くことが出来ます。
※ 御朱印は社務所拝殿の賽銭箱の上に置かれているので料金を箱の中に入れて頂く事が出来ます。
但し、売り切れている場合あるので注意(今回、私も頂けませんでした。)

鳥居を潜り、右手にある手水舎で手と口を清め、右手奥にある社務所の拝殿で参拝。
広い境内には立派な神楽殿があります。
神楽殿の鴨居には天狗信仰のシンボルが奉納されていました。

鳥居奥の建物(集会場?)の玄関には石裂山と書かれた大きな篇額が掲げられています。
ここは、石裂山の登山口でもあります。

集落から沢沿いに800mほど行くと、深い木立の中に加蘇山神社が見えてきます。
石段を登ると鳥居の奥に大きな杉の木が2本あり石段の奥に加蘇山神社の本殿が鎮座しています。
この2本の杉の木は樹齢500年といわれ、鹿沼市の天然記念物に指定されています。

ここは、石裂山回遊登山コースの入り口でもあります。
下は、樹齢800年の双幹の杉の木。

蝉時雨の中、石段を登りきると左手に手水舎、中央に拝殿その奥に本殿があります。
深緑の中に光り輝く古社は、荘厳さおも感じられます。

加蘇山神社は、神護景雲元年(767年)に勝道上人が開山したと伝わる古社です。
御神体は、磐炸命、根裂命、武甕槌男命を待つって今須。
五穀豊穣、家内安全、火難消除、武勇の神として知られています。

2007年12月22日公開の映画『魍魎の匣(もうりょうのはこ)』では撮影地として選ばれています。
栃木県フィルムコミッション

下は、鹿沼市の天然記念物に指定されている樹齢500年の双幹の杉の木。

加蘇山神社の正面入り口。

下は、上久我集落を流れる荒井川の清流。
この地域は限界集落ともいえ、数件の住居が廃墟となっていました。
左手奥の住宅はも廃墟となっていました。

下は、加蘇山神社手前にあるこの地区の学校の廃墟。

”廃校に来て口ずさむ里の秋”
詠み人 樋山

加蘇山神社
栃木県鹿沼市上久我3880
加蘇山神社(鹿沼市) 参考サイト

記事撮影 2017年09月05日

穴穂山普門寺(宇都宮市)第二十番札所

栃木県宇都宮市茂原町にある下野三十三観音第二十番札所穴穂山普門寺(茂原観音)です。
宇都宮市茂原グリーンパーク南側を走る北関東自動車道の側道を西方面に1kmほど行った所にあります。
高台にありますがちょっと分かり難い場所です。

石段を登ると境内の中央に本堂があります。
手水舎ですが水が無いためにお清めは出来ません。

本尊は、木造の聖観音菩薩立像で室町時代に作られたものだそうです。

下は、拝殿です。

下は、境内にある石仏です。

本堂の裏手は薄暗い杉山になっています。

茂原観音は無住です。
御朱印は、観音堂に向かって道を挟んだ左手(寺内様方)で戴けます。

穴穂山普門寺
栃木県宇都宮市茂原町579-2

記事撮影 2017年1月26日

典座教訓 道元禅師(アーカイブ)

読売新聞日曜版の名言巡礼に道元禅師を紹介する記事が載っていました。
道元は、曹洞宗の開祖で京都比叡山で修行したのち中国の宋に渡って修行を積まれ、越前の永平寺に座禅修行道場を開きました。
記事には日常の食事を作ることも食べることも大切な修行という典座教訓の教えが書かれていました。
この記事を読んで若い頃に座禅に興味を持ち一時期凝った覚えがあります。
この頃は悩み多き時代で、仕事などに対しての悩みを何とか解決する術はないものかという想いからでした。
友人に相談したら座禅などやったら面白いのではないかとのこと。
友人もこの頃仏教(新宗教ではありません)に凝っていた時期でもあり、2人で座禅会に参加してみました。
会場は、栃木県鹿沼市上久我にある曹洞宗のお寺常真寺でした。
住職(皆川廣義、駒澤大学名誉教授)(第38回前日光緑陰禅の集い平成8年7月20日)
一泊二日の参禅会では、午後1時から皆川先生の講話から始まり、入浴、夕食、座禅があり午後10時には開枕(就寝)。
二日目は、午前4時20分に起床し、座禅、作務、朝食、講話、座禅、昼食、そして解散となりました。
下は、その時の資料です。
曹洞禅ネット オフィシャルサイト

参禅会の日程表

下は、食事のときに唱える食事の偈
五観の偈は食前に唱え、普回向は食後に唱える。

座禅会に参加して、寺を去る時のあの気分の清々しさは今になっても忘れることが出来ません。
それからと言うもの、座禅に関する本を読み漁った覚えがあります。
また、機会があったら参禅したいと思っています。

大森曹玄著の参禅入門、NHKこころをよむ正法眼蔵(禅の道筋)などが参考になりました。
今でも、私の座右の銘にしている言葉があります。
随処に主となれば、立処みな真なり(臨済録より)
※「随処に主となれば、立処皆真なり」とは、『臨済録』に由来する禅語で、「常に主体性を持って行動すれば、その場所すべてが真実になる」という意味です。いつ、どこにいても「主人公」としての意識を忘れず、自分の置かれた場所で懸命に努力すれば、真実の生き甲斐や真理がその場所に現れるという教えです。

下は、栃木県大田原市黒羽町の大雄寺の萱葺きの廻廊の座禅堂の写真です。

大雄寺 オフィシャルサイト
〒324-0233 栃木県大田原市黒羽田町450番地
TEL 0287-54-0332

※ 記事撮影 2017年12月05

瀧海山常珍寺(芳賀町)第十六番札所

栃木県芳賀郡芳賀町水沼にある下野三十三観音第十六番札所瀧海山常珍寺です。
常珍寺は天台宗のお寺で宇都宮市街から国道123号を東方に12km程の所にあります。
ここは丘陵で境内からは下界に広がる田園風景を見ることが出来ます。

長い石段を登ると山門の奥に古い本堂が見えてきます。
山門の左手には手水舎がありますが水は張ってありませんでした。

本堂の拝殿には瀧海山の額が掛かり、その周りには見事な彫刻を見ることが出来ます。

旧参道から薄暗い石段を登ると茅葺屋根の仁王門があり両側には阿吽の仁王像が目を剥いております。

仁王門の奥には茅葺屋根の観音堂がありここで参拝。
この中に常珍寺の本尊聖観音が祀られているのだろう。

天安2年(858年)比叡山延暦寺第三世座主慈覚大使円仁の開基である。
境内に滝があったことから瀧海山と呼ばれた。
延宝年間(1673年)に山崩れのため諸堂宇、滝ともに埋没したが、天和3年(1683年)当山二十二世賢榮法師がこれをなげいて、現在地を選んで堂宇を再建して教化怠らず、元禄年中、第二十四世慶海僧正中興の祖として、観音堂、仁王門、大門、鐘楼などを建立し、仁王像、諸仏像を鋳造した。
秘仏「聖観世音」は、寺伝によると八幡太郎義家が、寛治元年、後三年の役に際して「諸仏」を当山に奉安し、戦勝祈願した。
(芳賀町サイトより)

上右は、堂宇の隅に捨て置かれた人力車。
誰が使ったものだろうか。
下右は、境内内の鐘楼。

下左は、自然石に彫られた松尾芭蕉の句碑。
“觀音の甍見やりつ花くもり”
文化2年(1805)10月
旭山 慈澄建立

私のサイト“奥の細道in栃木“の中に有る常珍寺の句碑

山門の入口には枝垂れ桜が咲き。
本堂拝殿脇には春を告げる紅梅の蕾がほころび始めていました。

野辺にはお地蔵様に花が添えられ、石仏が静寂の中に佇んでいました。

下左は、庫裡から続く観音堂への石畳。
下右は、境内から見た眼下に広がる田園風景。

下左は、常珍寺の由来。
下右は、常珍寺で頂いた御朱印。

常珍寺
栃木県芳賀郡芳賀町西水沼1236
TEL 028-678-0411

※ 取材撮影 2017年03月28日