2026年 6月 の投稿一覧

盛夏 ‘2016 08 南摩ダムにて Memory9(2016.08)

maywind_624 (2016年8月)

8月に入って久々に南摩ダム建設予定地付近を探索してきました。
建設予定地内の光景は以前からの変化はなく、夏の深緑の中に埋もれていました。
上は、県道付け替え道路の6号橋と放流管トンネル。
下は、室瀬地区から見たダムサイト付近。

下は、県道から見た県道付け替え道路の8号橋付近。

下は、旧粟沢口付近の工事用道路から見たダムサイト方面

下は、南摩川に流れ込む支流の出合付近。

下は、旧梶又付近から見た南摩川の様子。

下は、旧梶又停留所付近。

下は、旧笹ノ越路地区の県道付け替え道路の1号トンネル付近。

下は、最新の「思川開発事業監理協議会・幹事会」資料。

思川開発事業継続(南摩ダム)

maywind_624 (2016年8月)

8月25日、ダム検証中であった思川開発事業の継続方針が発表されました。
ダム検証は、前政権が平成22年9月に国土交通大臣により新たな段階に入らないと言う指示でした。
南摩ダムもその対象になり、建設工事が中断されたまま6年の歳月が流れてしまいました。
そして、8月25日漸くダム建設工事の継続方針が発表されました。

私も2003年頃から上南摩の現状に惹かれ、現在まで上南摩地区の四季を撮り続けてきました。
撮り始めた頃は、丁度地権者が合意を得て離村されている最中でした。
その様子を私なりのカメラアイで数年撮り続けてみました。
ダム湖に沈むと思われる上南摩地区の山々が崩され、南摩川に這いつくばるように耕作された田畑が放棄され、荒地となってゆく光景は傍観者である私さえ何とも言えない寂しさを感じられずには居られませんでした。

何で、川幅の狭い堀っ子のような小川にダムなどを造るのか。
流れのない南摩川を見るたびに、その問いが私の脳裏を過っていました。

しかし、半世紀も前に突然降って湧いたダム計画に振り回された上南摩の人達の苦悩は幾何のものであっただろうか。
秋の気配を感じさせる今日、上南摩地区を撮ってきました。

下の写真は、県道付け替え道路1号トンネルの入口付近です。

上南摩地区を撮り始めた頃に綴った手記(2004年1月)
手記南摩(作成当時はAdobeFLASHで作成してありましたが、現在は見ることが出来ません)

Photo Text by T.Hiyama

上南摩 梅雨 Memory8(2004.07)

南摩ダム建設によって離村された上南摩地区の梅雨を撮影しました。
撮影時期は、2004年7月頃です。
銀塩モノクロフィルムをカメラに詰め、上南摩室瀬地区から旧越野地区まで撮り歩きました。

上は、室瀬地区から見た南摩ダム建設予定地付近です。
畑には特産のこんにゃく芋が植えられています。


下は、室瀬橋付近にあった杉の木(この地区のシンボルだったかも?)

上と下は、旧粟沢付近です。

上は、旧梶又地区(粟沢の西)です。
解体中の民家が夏草に覆われています。

下は、同じ場所から撮影した夕景です。
ポツンと灯る街灯が何故か寂しさを誘う。

下は、上梶又バス停付近。
ここには、一軒の店とお堂がありました。
南摩川は、左手奥の山際を流れています。

下は、旧梶又地区に建っていた火の見櫓です。
火の見櫓の右手には、小さな消防小屋があります。
手前の建物は、荒れ地の中に建つお堂です。
手記 南摩にて その三

下は、旧西ノ沢入り口付近に咲くアジサイ。

下は、旧西ノ沢付近の風景です。

下は、旧西ノ沢入り口北付近から見た梅雨にけぶる山々です。

下は、旧笹の越路の民家です。
この民家の左手の山に県道付け替え道路の1号トンネルが建設されます。
五月ごろになると、民家の裏山には山ツツジが真っ赤に咲き乱れます。

下は、上南摩地区から上久我地区に入る道路わきにある南摩川の源流水源付近に建つ石碑です。
手記 南摩にて(その七)

撮影機材
アサヒペンタックスSPタクマー55mm
ゼンザブロニカETRSi ZENZANON PE 75mm F2.8(標準)
フィルム トライX

南摩ダム 解体 Memory7(2004.09)

南摩ダム建設によって離村し廃墟となった民家の解体です。
何時ものように上南摩を訪れた時、偶然にも廃墟民家の解体をしていました。
早速、道脇に車を止め、解体作業の責任者に写真撮影の許可を取り安全を確認しながら撮影しました。
7月の暑いさなかの解体作業はかなり大変な作業です。

下は、廃墟の解体前と解体途中の写真です。

下は、夕暮れ時の廃墟になった解体現場です。

手記 南摩にて(その四)

撮影機材
アサヒペンタックスSPタクマー55mm
フィルム トライX